本日は帰省中の友人zwei氏に連絡を頂いて、ファミレスにてしばし談笑。
仕事のことなどが多少話題になった後、自然と共通の話題としてゲームの話になりました。
いろいろ取り留めない話を繰り広げましたが、共通していたのは「昔と同じようにはゲームを遊べない」という点だった気がします。大半は「最後まで終えられない」って内容でしたが(苦笑)、やはりこれには年齢によるものもだいぶ関わっているんだろうなーと1人納得していたりしました。
子供(高校くらいまで?)な時代では気にせずのめり込めていたものも、社会に出て時間に追われる生活を続けているうちに磨耗していくのか、輝きはくすんできた感がします。頭の隅にはどうしても「この時間で〇〇をしなくては」という危機感みたいなものが残っていて、何もかも忘れて遊ぶことを邪魔するのですね。
それを乗り越えて私たちを魅了する良作もたしかに存在します(ICOは良かった…)。しかし哀しいかな、その良作を知っていたとして「実際に遊ぶことがなければ」結局はその人にとって良作とはなりえません。そう、ゲームをすること自体を「やめてしまって」いるのです。
いまの主流となっているゲームはヴィジュアル効果面が昔からは考えられないほどに進化していて、映画を見ているといっても過言ではないレベルのものさえあります。こういう論調はそれこそポリゴンという言葉が広く知られる頃からありますが、「映像面ばかり進化して、ゲームとしての面白さは置去りのまま(むしろ退化?)」という見方、これに私は賛同します。というか、そういう立ち位置で長らくゲーム業界を見ていたせいか、いまのゲームのほとんどに興味がなくなってしまっています。
最近はDSブームのおかげもあってか、頻繁に過去の名作をリメイクしたものが発表・発売されています。これ自体は懐古主義派の自分としては喜ばしい状態のはずなのですが、やはりリメイクはリメイク、という意識が残るのか、これまたいま一歩踏み出すに至らないわけです。
結局は「食わず嫌い」な部分が多くを占めるのでしょうが、「ゲームで遊ぼう」という意識が著しく薄れてきているんでしょう。特に「大作」といわれるようなものにはあからさまに「めんどくさい」感が感じられてしまうあたり、わたしにとっての「ゲーム離れ」は深刻なものなのかもしれません。ま、別にゲームしなくてもみんな生きてますけどね。
そんなこんなで、いまわたしが遊ぶのは単発的にプレイしても楽しいタイプか、小説や映画のかわりになる完全受動タイプのゲーム(?)なのかもしれません。
友人zwei氏のメインはリネージュ2とのことでわたしとはまた違った立場でしょうが、多少なりとも共感するところがある…といいなあ。