最近、聴いている曲の「重み」の低下を実感します。
それは製作側のクオリティ(理念?信念?みたいなものも含む)の低下もある気がしますが(商業性優先な感じとか使い捨て感の強い楽曲の消費とか)、それ以上にやはり聴く側である自分の状況も大きいのだろうと思うわけです。
具体的には「1曲に対する時間配分」といってもいい気がします。時間をたくさんかけて聴いた曲というのはやはりそれだけ「思い入れ」ができるということで(逆に「思い入れ」から聴くことになった曲ってのもあるでしょうけど、そういう曲も結局たくさん聴くことになるはず)。つまりは1曲1曲を聞く機会が減少していっている気がするということでもあります。
原因は様々あると思います。まず大きな違いとして、金銭的な自由が利くようになったということ。その気になればCDを何枚も買えるようになりました(流通も良くなりましたし。中古含め)。相対的に同じCDを聴き続ける期間が減ったわけです。音楽の「消費」が「浪費」になってきてる感じですね。
また、再生媒体の変化。昔はCD、テープ、MDあたりが当たり前で、多くても1メディアで2-30曲前後くらいなものでした。それ以上はメディアの入れ替えが必要で、一度に聴ける選択肢がそもそも少なかった。しかし、デジタル化が進み、いまではiPodに代表されるDAPで数百から数千、万単位の楽曲が同時に選べるようになり、選択される機会が相対的に著しく減少してしまった。その結果として「上澄み」以外の楽曲は存在しながら存在していないような状況になり、「重み」の差が激しくなった気がします。
そして上記と関連して、データとしての楽曲の「重み」。デジタル化してDAPやPCで曲を聴いている人間特有なのでしょうが、モノと直結しない所為か所有感に薄く(CD持ってても!)CDアルバムの構成すらあやふやなくらい聴き方が適当になっている感じです。やはり「思い入れ」というのは目に見える対象物あってのものなのかもしれません…。
で、何が言いたかったってーと。
もう1年くらいずっと出物を待ちつづけた挙句、別用で送料浮かすために新品で買ってしまいました。
関口由紀「夕焼けを聞かせて」です。
有線で聴いていいなと思っていたんですが、いままで語ったように「重み」を感じられるか心配になって安く済ませられないかと思っていたんですね。ここしばらく、いわゆるJ-POPで気になった曲がヘビーローテーションに耐えられることはほとんどなかったんで、「すぐに聴かなくなってしまうのもなあ…」という心境だったわけです。
で、聴いてみての感想。
「あ、大丈夫じゃん」
少なくとも3日で飽きるということはなさそう。良かった良かった。