競馬ファンは既に目や耳にしていることでしょうが、2001年の皐月賞馬アグネスタキオンが22日、急死しました。急性心不全ということです。11歳、種牡馬として8世代の産駒を残し、早過ぎる一生を閉じました。
当時、競馬ファンにとってこの馬は良かれ悪かれ「話題の馬」だったと思います。G1を除いた重賞レースの中で1,2を争う「伝説のレース」である「ラジオたんぱ杯3歳S」の3強対決は、いまも語り草となっています。好きだった人も、嫌いだった人も、この馬の見せた衝撃は強く脳裏に焼きついたはずです。
当時のG1王道路線はテイエムオペラオーの独壇場となっており、その閉塞感は凄いものでした。この馬(とライバルのジャングルポケット、クロフネ含む)への期待感は、皐月賞優勝時点で年末の有馬記念まで想いを寄せるものですらありました(私の脳内では)。まあ、そんなに好きだったわけではなく、「嫌いではない」程度でしたけどもね、わたしは。でも、「凄い馬たち(3強)の1頭」だと軽く陶酔するところもあったり、まあ夢を見れる馬だったということは確かです(そういう意味ではJCDを優勝したあとのクロフネなんかも同じですね。そういう馬が同世代に2頭も出ただけで偉業と言えます)。
しかし、結局、夢は夢で終わり。皐月賞終了後に恒例の「屈腱炎引退」。4戦4勝という成績と幻の三冠馬という語り草を残し、「光速」の文句どおりにターフを去りました。そして昨日。同様に名を現すかのような早逝でした。
しかし10年後、20年後も、あのレースを筆頭に競馬を愛する人達の口に上るであろうことを確信しています。
さらば、超光速の貴公子。