さて、こちらのエントリ(一つ前のエントリ参照)ではメインである本、「小説・秒速5センチメートル」についてちょこっと語って見たいと思います。
仙台で手にとって出だしを読み始めて「これはやばい」と自重しておいた同作ですが、たまたま中古で安く在庫があったので注文しました。新品ででも買うつもりでいたので、結果的にラッキーな判断でした(ちなみにわたしはあんまり中古だということに抵抗ないタイプ。DVDも中古入手でしたし)。
催眠導入(笑)として、サントラの曲を流しつつ、170pほどの内容でしたからそこそこの時間で読破。
結論から言いますと、「無駄に高い期待をもって読み始めてしまった」感じの読後感でした。
いや、新海氏や同作が好きな人々の名誉のためにいいますと、内容が悪かったとかいうつもりはまったくなくて、勝手に自分が「幻想を抱いた」ようなレベルで期待してしまっていたということです。
基本的にDVDとほとんど変わらない内容で、画面では表現されていない内面とかを中心にした補完的作品ですが(それを知ってて買いました、一応)、映画同様、3部構成になっており、1部は主人公貴樹の視点、2部はサブヒロイン?花苗視点、3部は再び貴樹視点主体に、時折ヒロイン明里の視点が折り込まれるという流れです。
全編通して、映画でも頻繁にでてくるモノローグ調の文体で描かれており、あの空気感がたまらなかった自分のような人にはオススメできるものと思います。ちょっと風景描写とかが過剰な印象受けましたけども。
「これはやばい」と思った、映画では出だしのシーンである、表題について語る2人の幼少期シーン。そして3部にある、明里視点の追想シーン。この2点が自分にとっての「白眉」だった気がします。他はいろいろと感じるとこもありましたが、映像の補足的説明に終わっているような印象でした。人物内部での心の動きとかが描写されていますが、結局高校時代以降はどうも読み手である自分にそういった下地ができていないのか、表層的にわかったような印象だけで「結局どういうことなの?」と消化不良な感じに終わったり。3部の貴樹の描かれざる時間については、余計にその点が目立って逆に凹んでしまったくらいに。
どうもわたしの内面世界はまだ高校~大学あたりで止まっているようです。
ただ、3部については、映画では断片的な情報しかなかった中で感じられた渇望感・焦燥感みたいなものが、なぜかあまり感じられなかったんですね。
「気づけば、日々弾力を失っていく心が、ひたすらつらかった」
「かつてあれほどまでに真剣で切実だった想いが、きれいに失われていることに僕は気づき…もう限界だと知ったとき…僕は会社を辞めた」
上は映画内の非常に心に残った、貴樹の独白の一節ですが、このあたりの受け止め方としてすれ違いを感じた気がします。わたしはこのシーンから社会に出てからも満たされないでいることを(対象は既に漠然としてしまっていたとして)自覚しながらも騙しだまし生きているように受け止めたんですが、小説での描かれ方は「無自覚のままでしかも一時的とはいえ満足感にあふれた人生をすすんでいた」ように見えました。
ま、本人が映画と意図的に変えたところもあるように言ってますから、これもその一つかな~と思いたいんですが、でもこの作品の根源的なところに結びついている、テーマになっている部分の一面な気もしますから、単純に自分の読み違えということなんでしょうか。
反面、2部は映画以上に花苗の心象が描かれており、新たな発見をした気分になれる良い章だったと思います。微笑ましい気分になれるシーンも多かったですしね(笑)。でもそうか、あれは確固とした「拒絶」だったんですねえ…見ていないという「断絶感」からの諦めかと思ってたんですが。
なんにしても、全編通しての貴樹と明里の精神的結びつきの強さと、年月による変化の仕方というものを感じさせられた作品でした。惜しむらくは、文通が途切れていく過程の補足があればもっとすんなり読めた気もするところでしょうか。それでも、二人の手紙の内容や、大人になっての明里の貴樹に対する心、踏切での貴樹の明確な意思というものが描かれていた点で、映画に(色んな意味で)心奪われてしまった人々に対する救いがあった、補間作品としては素晴らしいものだったといえるのではないでしょうか。
しかし…1部の第1節の破壊力は絶大だと思うんですが…誰か賛同者いませんかねぇ。